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2022.8.9 Release
「人間知序論Ⅰ」第6回目は、7月20日に「哲学と心理学:合理性について」というテーマで講義が行われました。担当は、CHAINのコアメンバーであり、文学研究院で心の哲学、心理学の哲学、精神医学の哲学の研究を専門とされている宮園健吾准教授です。
哲学と心理学がどのような関係性にあるのか、合理性をトピックとして具体的に考えてみましょう。そこで考え方の基となるのは、宮園先生の著書「Philosophy of Psychology:An Introduction」です。
さて、「人間はXだろうか?」という大きな命題を私たちが考える際に、哲学的問いと心理学的問いで考察していきます。具体的な例として、Xに「合理的」という言葉を入れてみると、以下のようになります。
「命題【人間は合理的だろうか?】
哲学的問い:合理的の定義、合理的であるための必要条件と十分条件はなにか。
心理学的問い:経験的データに鑑みて、人間は合理的であるための十分条件を満たしているか。必要条件を満たしていないのか。」
更に、この問いは哲学的前提と、心理学的前提から結論を導きます。この時、合理性の標準的見解を「合理性は、実際の推論と数理論理的な原則との一致」とし、合理性の生態学的見解を「合理性は情報処理プロセスの構造と(適切な)環境における情報の構造との一致」とすると、以下のようになります。
では、標準的見解から見てみましょう。
「前提1:合理的であるための必要(十分)条件は、数理論理的原則にきちんと従って推論できる能力を持つことである。(哲学的前提:標準的見解)
前提2:経験的データ(e.g. Kahneman et al. 1982)に鑑みて、人間は数理論理的原則にきちんと従って推論できる能力を持っていない。(心理学的前提)
結論:よって、人間は合理的ではない。」
つぎに、生態学的見解です。
「前提1:合理的であるための(必要)十分条件は、情報処理プロセスの構造と(適切な)環境における情報の構造とが一致していることである。(哲学的前提:生態学的見解)
前提2:経験的データ(e.g. Fiedler 1988; Wason & Shapiro 1971)に鑑みて、人間の情報処理プロセスの構造と(適切な)環境における情報の構造とは一致している。(心理学的前提)
結論:よって、人間は合理的である。」
それぞれ結論が異なってしまいました。これはどう考えればよいでしょうか。
ひとつは、我々の推論、判断プロセスは、認知的なショートカット(ヒューリスティック)によって、しばしば不合理なエラーを犯してしまうことにあります。これについては、「ウェイソン選択問題」と「リンダ問題」を例に挙げ、理解を深めました。しばしば不合理なエラーを犯す我々の推論は、哲学的前提:標準的見解の必要条件を満たしておらず、「人間は合理的ではない」という結論になるのです。
もうひとつは、「頻度」と「確率」です。Gerd Gigerenzerによれば、我々は、人間の進化プロセスにおいて、私たちは「頻度」が生活のベースとなっており、「確率」ではなかったという歴史があります。先ほどの「リンダ問題」でも、「確率」で問うと、85%の被験者が誤った回答をするのに対し、「頻度」で問うと、正解のパフォーマンスが飛躍的に上がることが知られています。上記の生態学的見解の議論での心理学的前提では、人間の情報プロセスの構造とは「頻度」ベースであり、(適切な)環境においても私たち祖先が直面していた認知構造である「頻度」であるため、一致していると言えます。これは、哲学的前提:生態学的見解の合理性であるための十分条件を満たしており、「人間は合理的である」という結論になります。
合理性についての標準的見解と生態学的見解は、どちらが正しいのか気になるところで講義終了の鐘が鳴ってしまいました。やっぱりその先が知りたい!更に深く原因を追究してみたい!そんな知的好奇心を刺激され、これを機に「心の哲学」を紐解いてみたいと思います。
授業はハイブリッド形式(対面+オンライン)で行われました。「人間とは…」という大きな命題に私たちが向き合う場合、論点先取回避をめぐって活発なディスカッションが行われました。次々と浮かぶ学生の質疑に対して、宮園先生は丁寧にわかりやすい言葉で解説してくださり、学びを深めることができました。また、人間以外の合理性についても標準的見解と生態学的見解との比較検討を行い、更に白熱した議論が続きました。
心と身体との因果関係をテーマとする「心の哲学」は、まさに「人間とは何か」を問う学問そのものだと思います。実社会では経験的データだけで判断しようとする傾向も見受けられますが、経験的データだけではなく、哲学的前提からも議論の余地がありそうです。このことは、第1回目の田口先生の講義「なぜ学際的研究が必要なのか?+哲学の意味」で、科学的研究の根底にある考え方に「哲学」は必要であり、ステレオタイプな概念を解体するツールとして「哲学」を捉えていることと繋がってきます。今回の講義では触れなかった「自己知」や「妄想」についても、著書Philosophy of Psychology:An Introductionのなかでテーマとして扱っているそうです。次回の第7回講義、鈴木啓介先生による「仮想現実と実在感」と関連する部分がありそうです。
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